2020.01.01

 

 新年明けましておめでとう。

 

皆さま、ついに2020年という年を迎えました。

2000年に大予言で地球滅亡なんて話もありましたが、それから20年。

こうして地球は無事(?)でいてくれています。

 

把握されている大宇宙の中でもたった一つ。

この地球は緻密なバランスを保ちつつ私たちを生かしてくださっています。

 

光寿。私たちが生かされていること、私たちに起きるすべての事は

仏様からのお慈悲「愛」なのです。

 

楽しいこと、嬉しいことはもちろん

苦しいこと、辛いことでさえ、仏様からの「愛」です。

 

それによって誰もが、心の成長をし、幸せになることが、仏の願いなのです。

 

仏様はいつでもどこでも、どんな時も、常に光をあて、そばにいてくださっています。

そのように受け取れるかどうかで、自分自身の行動も変わり、周りも変わり、世界も変わるのです。

 

どうかこの一年皆様が「安穏な心」でいられますよう、念じるばかりでございます。

 

                                  合  掌

 

 

 

 

 

2020.02.01

 

誰もが「全てを失った」と思うような時期を過ごしたことがあるのではないでしょうか。

または、「これから」という方もいらっしゃるかもしれません。

 

大切な人を亡くした時。

財産を失った時。

病に侵されていると知った時。

 

人は様々な場面で「もう立ち直れない・・・」と思うものです。

しかし、時が流れ「生きている自分」を見つめたとき、

ふと沢山のものに「生かされている自分」を見つけるのです。

 

日陰だと思っていた自分が、本当は無数のお陰さまに支えられ、

光に照らされていることに、きっと気付くでしょう。

 

そんな思いを繰り返し、感謝することが出来たなら、

今度は自分が「誰かを支えられる人」になっていくのではないでしょうか。

                     

                           合 掌

 

 

 

2020.03.04

 

『感謝』

 

物があふれ、捨てるほど満たされている現代では、

「有るのが当たり前」で、感謝する機会が減っているように思います。

 

苦しい時も、悲しい時も、雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、

日は差して、雨が降り、風が吹き、草木が育ち、空気はバランスよく作られ、

様々なことが重なって、「生かされている」のです。

 

どんな時も、仏様は「大丈夫。安心して生きなさい。」と

あたたかな眼差しで見守ってくださっています。

 

どれもこれも有り難い。「有り難し事」なのです。

 

 

2020.04.03

 

 この度のコロナウイルスにより亡くなられた方々にお悔やみを申し上げると共に、今苦しんでいる方々、様々な面で大変な思いをされている方々など、寄り添いたくても中々叶わず、このことをどう受け止めたらいいのか、仏様と対話させて頂いている日々です。

 

 お寺でも行事はすべて中止となり、みなさんとお会いできないのがとても寂しく思います。

少しでもお役に立てればと、外の看板を含め、できる限りのことをさせて頂いております。

 

 

 さて、こんな時だからこそ一番近くにいる人との関係を見直したり、遠くにいる人に想いを馳せたりしながら、今一度 己を顧みてはいかがでしょうか。

 いつもは忙しくて見て見ぬふりをしてきたことに向き合ってみると、自分の弱さや甘さ、愚かさなどがありありと見えて参ります。

 

 物事には「もう遅い」ことと「まだ間に合う」ことがあります。

誰かに想いを伝える事。褒めることも、感謝でも謝罪でも。

それは、まだ間に合います。

相手がどんな反応をするかはあまり関係ありません。

その心が「仏様の心に沿っているか」ということが大切なのだと思います。

 

こんな時だからこそ、様々なことに気付かせて頂けるのではないでしょうか。

 

 

 

2020.5.2

 

 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

テレビを点けても新聞を見てもネットを見ても・・・

コロナウイルスに関する情報ばかりで、目の前に何も起きていなくても

心が沈みそうです。

 色々な立場の方がいらっしゃいますから、一概には言えませんが、

自分に必要な情報を得たら、そこから離れられたら良いかと思います。

 

 そして、今までの行い、心掛け。仕事や家族の事など。

見直せることが沢山あるのではないでしょうか。

 

 「当たり前」と思っていたことが「有り難い」事だったと気付かされたり

何となく見過ごしていたことに取り組んだり。

己を振り返り、「生き方」を変える大きなチャンスでもあります。

 

先日コメンテーターの方がおっしゃっていました

「2ヶ月・3ヶ月と家賃を滞納しても、今は事情があるのですから、それでもいいんです」

 

本当にその通りです。

お金や物に執着せず、生きることを第一に考え、助け合って参りましょう。

 

 

 

 

2020.06.02

 

 今月より多くの学校が始まり、お寺の前の公園にも連日子供たちの遊ぶ姿が見られます。

「With コロナ」などと格好よさげに聞こえますが、まだまだ油断するなということでしょう。

 

 浄土真宗本願寺派では2014年に第25代門主に大谷光淳さまがご就任され、

2018年に「私たちのちかい」と題して、日々の心掛けをわかりやすく、

4ヵ条にまとめられました。

 

 お寺でも朝のお勤めの後、「このような心で一日過ごせますように」と思いをこめながら

お唱えさせて頂いております。

 

 お誓いをたてても、夜のお勤めで一日を振り返ってみますと

「あれは仏様とは遠い気持ちだったな」と思うことがほとんどです。

 

 それでも毎日お唱えし、お誓い申し上げることで少しずつでも

仏様の御心に近づけるのではないかと思います。

 

 精進は自粛することなく、むしろ今だから邁進できるのではないでしょうか。

 

 

 

2020.07.02

 

 ついに今年も半分を過ぎました。

この半年は本当に新コロナウイルスに翻弄されましたね。

マスクに始まり、様々な紙製品が品薄となり、

仕事も学校も会合も、ちょっとしたお茶会まで、

当たり前が出来ない事に、不安や憤りを感じた方も多かったことと思います。

 

 そうなると心に余裕がなくなり、いかに自分が自己中心的であるかを思い知らされます。

「助け合い」「分かち合い」などという気持ちはどこかに消え、

「我先に」という気持ちがムクムクと沸き上がってきます。

 

 そんな自分を残念に思うと共に、常に己を振り返らせて下さる御仏様に、

いつも感謝の心が沸いてまいります。

 

 

 

2020.08.02

 

 長かった梅雨も明け、日差しが照り付ける季節となりましたね。

自坊ではやっと梅を干すことが出来ました。

 

 「仏様の手の中にある」と聞きますと西遊記の物語の中で、

孫悟空があちこちで暴れまわってみたけれど、そこは全て仏様の手の中であった。

という場面を思い出します。

悪さをする孫悟空を優しい眼で見守る仏様のお姿が印象的でした。

 

 日頃私たちは、都合の悪いことが起きると「嫌なことが向こうからやってきた」

と思いがちです。天災や病など、私たちの力ではなかなか越えられない時もあります。

 しかし、苦のほとんどは自分で作り出していると気付くと、心はとても軽くなります。

 

 同じ境遇の中に生きていても、その渦に巻き込まれてしまう人もいれば、

そこから輝ける人もいるということは、「自分次第」ということなのだと思います。

 

 仏教では苦の原因を自分の内側に見つけます。

四苦八苦しながらも己を高めていくと、だんだんと生きやすくなっていきます。

 

 そんな私たちを仏様は微笑んで見守り続けて下さっています。

 

 

 

 

 

2020.09.01

 

 皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか。

急に涼しい風を感じられるようになり、マスクで蒸されるのもあと少しかなと思います。

 

 

 さて、振り返ってみますと、わが人生「野合」で過ごしてきた時間の方が長かったように思います。

「何か違うな」「居心地悪いな」「そうじゃないのにな」「ま、いいか・・・」

と、自分をごまかし、相手もごまかす。

そうやって「やり過ごす」日々を過ごしていたことを思い出します。

 

 違うと感じたら「私はこう思います」

 分からなければ「分からないので教えて下さい」

 嬉しい時は「嬉しいです」

 感動したら「感動しました」

 

と、穏やかに言えたら楽ですね。

 

 自分の心が動くように、どんな人も心があります。

 

 違うと感じるけど「ああ、この人はそう思うんだな」

 分からなければ「理解できるように努力しよう」

 嬉しそうなら「この人はこういうことに喜びを感じる人なんだな」

 感動していたら「何に感動したんだろう。知りたいな」

 

と、相手に歩み寄ることが出来たらいいですね。

 

 きれいごとのようですが、日々心にとめて訓練していくと少しずつ自然に

そのように心が動くようになってきたように思います。

 

 

 

2020.10.01

 

 暑さ寒さも彼岸まで・・・とは何方が初めて言ったのか

実にその通りで、朝晩冷えて参りましたね。

またあの「衣替え」をするのかと思うとちょっと気が重くなります。

 とは言え「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」「睡眠の秋」「芸術の秋」

皆さんはどんな秋を過ごされるのでしょうか。

 

さて、一日の中で「一人の時間」を持っていらっしゃいますか?

 

 たとえ一人でいても、誰かのことを考えていたり、明日の予定を確認したり

はたまた、どうにもならないことを考えたりしているのでは「一人の時間」とは言えません。

 

 例えば、瞑想したり、座禅をしたりするのも一つだと思いますが

趣味に没頭するのもいいでしょう。大好きな映画を観たり、本を読むのもいいと思います。

 

大事なのは「本当の自分を感じているか」ということかと思います。

 

 

かのナイチンゲールも、多くの看護師をかかえていましたが、その全員に

「一日に一時間は必ず自分の時間を持つこと」

をルールとしていたそうです。(ナイチンゲールは日記を書いたり刺繍をしたりしていたそうです)

 

戦争で負傷し苦しむ人々や、病に倒れた人々に毎日寄り添う為には、

先ず「自分を見失うことなく、自分が何に向かって生きているのか」

と確認する時間が必要だということなのだと思います。

 

「余裕のある心」それはいつの時代も、どんな人にも当てはまるのではないでしょうか

 

 

 

 

2020.11.01

 

 少しでも寒さを感じると、もう春が恋しくなるなんて、なんと我儘なことでしょう。

日没が早くなるのも淋しいですね。「黄昏の秋」でしょうか。

 

 さて、「勿体ない」と言えば思い出すのは

環境分野で初のノーベル平和賞を受賞されたケニアの女性、ワンガリ・マータイさんを

思い浮かべます。残念ながら2011年に亡くなられていますが、いつまでも語り継がれて欲しいと思います。

 

 関西学院大学・早稲田大学・青山学院大学・お茶の水女子大学の名誉博士でもある彼女は、

来日した際に、この「勿体ない」という言葉に出会います。

 そして、その「勿体ないの思想」こそが環境問題の活動そのものだとし、

活動中は合言葉として使っていたそうです。

 

それ以外にも、彼女は素晴らしい人格と経歴の持ち主なので、是非検索してみて下さい。

 

 

 仏教ではこんな話があります。

お釈迦さまの十大弟子の一人「阿難」と王様の会話です。

王様『阿難よ。破れた衣はどうしますか。』  阿難『破れた衣で敷布を作ります。』

王様『古い敷布はどうしますか。』  阿難『枕の袋にします。』

王様『古い枕の袋はどうしますか。』  阿難『床の敷物に使います。』

王様『古い床の敷物はどうしますか。』  阿難『足ふきを作ります。』

王様『古い足ふきはどうしますか。』  阿難『雑巾にします。』

王様『古い雑巾はどうしますか。』  

阿難『王よ。わたしどもはその雑巾を細々に裂き、家を造るとき泥に合わせて、壁の中に入れます』

 

 どこまでもどこまでも、「物を生かしきる」「物は授かりものである」

それが2500年以上も前に交わされているのです。

裏を返せば、2500年経っても、人間は変われないとも言えます。

本当に考えさせられます。。。

 

 

 

2010.12.01

 

 本当に今年は「例年通り」という言葉が使われない年となりました。

トップページにありますように、自坊でも3月以降の行事はすべて取りやめとなりました。

これに対応するようにと、本山ではリモートによる法要や、動画での配信などに力を注いでいますが、

相手に設備や知識が無ければ受け取れず、なかなか難しいようです。

 

 やはり、その場の空気、香のかおり、生の声・・・それがあって感じる物があるのではないかと思うのです。

 

 人が集って時を過ごすという、今まで当たり前だったことがいかに有り難かったのか思い知らされます。

どうですか?孤独ではありませんか?誰かが側にいますか?話せる人はいますか?

どうか皆さんの心が安穏でありますようにと、仏様に手を合わせながら日々念じています。

 

 命の尊さ、人に会える喜び、沢山の人に支えられている自分・・・

様々な事に気づかせて頂いた一年でした。

皆さんどんな1年でしたか?

 

 外の看板を初めて丸6年。今年は更に多くの方に読んで頂き、声を掛けていただく事もありました。

仏法は不変です。2500年以上も前にお釈迦さまが話してくださったことが現代に生きるとは、本当に驚くべきことです。

その中の一つの真理『諸行無常』。これは絶対です。この事態も必ず変化していきます。

どうか希望を持って、この尊い命を大切に日々過ごしていただけたらと思います。

 

これからも出来る事を一つ一つ丁寧に、精進して参りたいと思います。

 

 今年もご愛読ありがとうございました。