本年度よりリニューアル致します!

 

 いつもの文字を期待されていた方々には、何とも申し訳ないのですが、はじめの一歩でございます。

 自慢になりませんが、わたくし一度も字で賞をもらったことが無く、小学校のノートの端にはいつも「ていねいに」という先生からのコメントが付いておりました。

 そこは目をつぶっていただき、今迄と変らず、仏様のみ教えをお伝えして参ります。

 何卒、何卒、よろしくお願い申し上げますm(_ _)m

 

 皆様無事にお正月を迎えられましたでしょうか。

元旦の修正会では、この宇宙の生きとし生ける全ての命が、幸せであるよう念じさせていただきます。合 掌

                  2022.01.01

 

 

 

 

 

 

2022.01.14

 14日は初法話でしたので、「そうだ!」と大急ぎで書きました。

まぁゆっくり書いても上手にはなりませんが・・・乱筆にて失礼いたします。

 

 「夢は大きく」とはよく聞きますが、どんな大きな発見も小さな研究を重ねてこそ得られるものです。

頂上にひとっ飛びには行かれません。一歩一歩確実に登ってこそ頂上に到達するわけです。

 

 夢や希望は人それぞれですが、どうしてそれを目指すのか、

という初心(発願)が大切です。

私利私欲ではなく、自利利他であること。

それは「仏様に喜んでいただけるような心」です。

 

さあ、どんな一年になるのか。

どんな方々とご縁を頂けるのか、何が起こるのか、新しい年のはじまりです!

 

 

 

 

2022.02.01

 

 今年は「縁起」を大きなテーマにしていこうと思います。

先ずは縁起についての説明ですが、いくらでも比喩することが出来ます。

何故なら、この世に存在するもの全てが「縁」と「起」で成り立っているからです。

 

 人間同士はもちろんですが、目に見えないものにも何かしらの影響を受け、

また、自分自身も知らず知らずのうちに周りに沢山の影響を及ぼしています。

 

 良い影響ならいいのですが、「無言の圧」や「ピリピリとした空気」など、

行動しなくても感じ取れることがあります。

 

 常に穏やかで和やかな空気をまとう人でありたいですね。

 

 因みに「鬼のパンツは虎の皮で出来ている」ということで、

パンツのために(?)虎を殺生した鬼が虎に豆を投げられるというのは

「因果応報」ですね(笑)

 

 

※ 看板を見返すと「影響」の「影」という字が「映」になっておりました・・・。

  お詫びして訂正いたします。m(_ _)m

 

 

 

2022.03.01

 

 みなさんいかがですか?

私は「人に言われた」という感情を、なかなか手離すことが出来ない事があります。

「いけないいけない。また考えてる」と頭から追い払うのですが、また気が付くと考えている。

 

 逆にそんな思いを誰かにさせないように、口にする言葉には気を使います。

たとえ家族でも、愛のある言葉を心掛けたいですね。

 

 最近ではSNSによる誹謗中傷が問題になっています。

世界中が繋がることのできるインターネット。

気軽に意見を投稿できるのも魅力ですが、それを見て、相手がどう思うのか

井戸端会議だろうがSNSだろうが同じです。

 

 言霊(ことだま)は大きな力を持っています。

「嬉しい」「楽しい」「幸せ」「素晴らしい」

そんな前向きな言葉を使っていると、そのような世界になっていくのではないでしょうか。

 

 周りがどうこうよりも、先ずは自分自身が充実することが大切です。

温かくなって、陽も伸びるこの季節。

何かを始めてみるのも良いかもしれません。

 

 

 

 

2022.04.03

 

 ちょっと遅くなりました。

今年初めて、自坊で「降誕会」「花まつり」いわゆる「お釈迦さまの誕生日」

をお祝いさせて頂く事になりました。

 

 お釈迦さまは生まれてすぐに七歩あるき、天と地を指さし

「天上天下唯我独尊」

と言ったと伝えられています

 

「天にも地にも我一人が尊い」

「全ての人がこの世界に唯一の存在で尊い」

と仰っています

 

 お釈迦さまは出会った人それぞれに合った心理を説き

その人の目と心を開かせたのです。

 

 お釈迦さまの誕生は天からの贈り物のようですね

沢山の方便を使って、あの手この手で私たちを正しい道へと

今もなお導いてくださっています

 

 

 

 

2022.05.01

 

 5月になりました。暑い日や、肌寒い日がコロコロとやってくるので

一体今がどんな季節なのか忘れそうになります。

 しかし、庭(猫の額ですが)を見るたびに、紫陽花が蕾を付け、

公園の花水木が散り始め、木の葉が「新緑」から「深緑」へと変わりつつあります。

植物は騙されない。すごいですね。感動します。

 

 皆さんは「隣の芝生が青く見える」という経験はありませんか?

 

 私もこのみ教えに出会うまで、ずっとそう思っていました。

又は逆に「隣の芝生は枯れていそうだ」などとおごった気持ちになることもありました。

 

 しかしどうでしょうか。

他人と比べてばかりいる自分の心の芝生は枯れていたのだと思います。

 

 人にはそれぞれ違う種類の芝があって、大変な境遇にありながらも生き生きと

芝生を茂らせている人も沢山いらっしゃいます。

 そして同じように、恵まれた環境にありながらも不平不満が絶えなかったり

恵まれているからこその苦労もあるのです。

 

 何より大切なのは、自分の心を生き生きさせることに尽きるのではないでしょうか。

自分がどんな種類の芝生で、どんな育て方が適しているのか。

それはみ仏様が常に私たちに教えて下さっています。

 

 そのメッセージを素直に受け取れる自分でありたいと、心のアンテナを広げていたいと思います。

 

 世界が平和になりますように念じます

 自分の心が平和であるようお誓いします          南無阿弥陀仏   合 掌

 

 

 

 

 

2022.06.01

 

 「人生は螺旋階段」とは、誰の言葉か、はっきりしていないようですが

私はこの言葉を、とてもつらい時期に東洋医学の先生から聞きました。

「そうか。今はつらいけれども、幸せに向かっているのか。」

と、漠然とした感じではありましたが、安心感を覚えたのを思い出します。

 

 では「幸せ」とは何でしょうか。

どうすれば満たされるのでしょう。

 

 それはお金でも物でもなく、友人や恋人や家族でもありません。

自分の外側にあるものは全てが変化し、時にはそれが憂鬱の種になることもあります。

 

 苦しい時こそ仏様の声を聴き、どう乗り越えたらいいのか、

見方、聞き方、行動の仕方を考えてみましょう。

 

 誰かに話を聞いてもらうのもいいでしょう。

勿論お寺に話しに来て下されば、私たちがお話を聞くことは出来ます。

 

 ただし、答えは自分で出すことが大切です。

大丈夫。少々間違っても、回り道しても、必ず幸せに向かっているのです。

 

 

 

 

2022.07.01

 

 皆さまご無事ですか?!!!

暑い・猛暑・酷暑・・・それ以上は何と言ったらいいのでしょうか

ますます生きづらい地球になっていくように思います

 

 

さて、道を挟んでお寺の前は公園になっており

毎朝ご近所の方が集まってラジオ体操をしています

 

私も最近、子育て以来の「公園デビュー」

道の掃き掃除と朝のお勤めの合間に、布袍(黒の衣)にたすき掛けで

可能な限りラジオ体操にお邪魔しています

 

その姿は人目を引くようで(笑)

徐々にご挨拶して下さる方が増えています

 

母から受け継いだ掲示板のご縁もあって、お話が進む中

「お寺の中」をご存知ない方が多い事に気づきました

 

河津前住職が揃えて下さった素晴らしい仏間があることを知って頂きたくて

そして掲示板の真後ろに、阿弥陀様が立って働かれていることを感じて頂きたくて

 

そんな想いで今月の文章を書かせて頂きました

 

衣姿の私をうっかり(?)拝む方がいらっしゃいますが

私には皆様が仏様に見えるのです

 

沢山の方に支えられ 守られている事に

感謝感謝の日々です  

 

 合 掌

 

 

 

 

2022.08.01

 

カレンダーをめくる歓び(驚き)を今月も味わうことができました

 

この度 浄広寺でも家族に感染者が出まして

皆様には大変ご心配をおかけいたしました

お蔭さまで一人だけで 広がらず 無事に回復し(一番元気)

完全防備で消毒し 保健所からもOKをいただき

昨日からお寺オープンしております

 

その間 シャッターも開けぬまま11日間

誰にも会わず ネットスーパーとネット通販も玄関前に置いてもらう「置き配」

時に親戚からの笠地蔵(これも置き配)で過ごしました

 

どうでしょう

あんなに仲の良かった家族でさえ

生活すべてに気を付けなければいけない事だらけで

たくさん我慢して 会えず 触れず

ちょっとギスギスすることもありました

 

そんな中でも 私たちを助けてくれたのは

相手を思いやる心と 相手を許す心(愛)と

常日頃からしている「おふざけ」でした

 

今は携帯があるので 電話したりLINEで面白い写真を送ったり

壁に向かって大声でしゃべったり(近所迷惑注意です(笑))

冗談を言い合い 笑って

 

それがどんなに大切なことか 身をもって知りました

 

外に出ても同じです

出来ることはたくさんあるのではないでしょうか

周りの人が心地よい程度に 気を付け

時には他人にだってユーモアを投げかけても良いのではないでしょうか

 

私の経験では 十中八九

一瞬驚いて そしてやっぱり笑ってくれます

 

どうか人生に虹をかけることを忘れないでほしい

という切なる願いをこめて

 

合 掌

 

 

 

2022.09.01

 

夏休みも終わり 秋の虫の音が聞こえてまいりました

日も短くなりつつあり ちゃんと秋が近づいていますね

 

さて 日本人というのは 奥ゆかしさもあって

「一言」にいろいろな意味を込めますね

「すみません」がよい例でしょうか

これさえ言えば かなり用が足りてしまうところがあるように思います

 

でも出来れば「ありがとうの意味」をいう方が確実に伝わるのではないでしょうか

 

実は書ききれなかった文章があったので こちらで

 

「お念仏や お題目や アーメン には

 

 すべての感情が含まれているように思う

 

 今日も大好きなあなたに会えてとても嬉しい

 

 ありがとう」

 

  合  掌

 

 

2022.10.01

 

 お彼岸過ぎて、どんどん日が短くなり

金木犀の香りと虫の声が「秋が来たよ」と教えてくれます。

 

 さて、この「欲なのか 愛なのか」というのは

自分にとっての永遠のテーマであり

日々、自問自答しているところです

 

 私たちはついつい「損得」で物事を考えがちです

「善悪」「勝敗」など、差をつけてしまう癖がなかなか抜けません

 

 子供向けの童話も議論の対象になっているようです

「シンデレラ」のように、主人公だけが幸せになるのも大好きです

 

 しかし仏様は違います

「どの人も幸せになる」

損得ならぬ「得得勘定」が存在するのだと教えて下さっています。

 

 丁度良いところを見極めるには

やはり日々の訓練なのでしょう

 

 小さなことも積み重なれば大きな「得得」になる

 

何より自分自身が幸せを感じられるのだと思います

 

  合  掌

 

 

 

 

2022.10.27

 

浄広寺報恩講に向けて、一足先に掲示板を書かせていただきました

 

「往生とは、往って生まれること

だから この世で生きているうちのことを

生まれる前で『生前』というでしょ」

 

と父から聞いたときは、目からウロコでした

 

浄土に生まれるということは

命日は、あらたな誕生日でもあるということです

 

回忌供養は言わば「数え年」になりますから

例えば三回忌は満二歳、ということになります

 

まだまだ浄土ではひよっこ

いつまでも大切に偲んで差し上げたいですね。

 

そして死について「ただ家に帰るだけ」と述べたマザーテレサ

死の淵にいる方々を この言葉でどれだけ癒したのかと思います

 

最期は心配ない

だから安心して生き抜きなさい

という 優しく 力強い神仏からのメッセージが聞こえてきます

 

 

 

2022.12.01

 

それなりに掃除をしているつもりでも

日の光を浴びたとたんに、驚くほど塵が見えることがあります。

 

仏道に入り、勉強を進めた頃もそうでした

仏様の光を浴びて、己の煩悩がみるみる見えてくるのです。

 

それは「反省して自己を正していく」という、前向きなことではあるはずなのですが

自己の煩悩を見つめ続けるのは大変辛いことでもあります。

 

宗教は「本当の幸せに気付くため」にあります

では、どう捉えたらいいのでしょうか

 

それは「心の塵を払い、垢を除いたその奥には、あなたにしかない素晴らしいものがあるのです」

「どうかそのことに気付いてください」

という事なのだと思うのです。

 

今年も残すところ、あと僅かですね。

大掃除をしつつ、自分にも相手にも、素敵なものを見つけられるといいですね。

 

本年も誠にありがとうございました。