2017.01.12
新年あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
お正月もあっという間。もう1月も半ばとなりました。年々月日が過ぎるのが早く感じるようになりますね。
限られた命。大切にこの身を使わせて頂きたいと思います。
先日、築地本願寺の掲示板に記されていたこと
に、少し付け加えて、今年の年頭の言葉とさせて頂
きました。
夜、一日を無事に終えたことを仏様に感謝する方
は多いでしょう。でも、朝、また命を頂けたことに
感謝する方は少ないのではないでしょうか。
朝を迎えることは当たり前ではありません。眠り
から覚めてまた生かされている。それは仏様から、
「さぁ、今日も精いっぱい生きなさい」とメッセー
ジを頂いているように思います。
そうして一日一日を大切にしていく。ただそれだ
けなのですね。
今日は写経の会でもありました。会を始めてもう5年。皆さんには今年一つテーマを決めて、じっくりと取り組んで頂きたいと願っています。
書いているときは集中して。静かな、穏やかな空気が漂います。
その後のお茶の時間には皆さんこれまた生き生きと、御法の話を交えながら色々なお話をされて、爽やかなお顔で帰られます。
どんな作品が仕上がるのか、本当に楽しみです。
2017.02.01
大寒ですね。明後日には節分、そして4日には立春がまいります。しかしこの時期が一年で最も寒い時期でございます。
とは言え、日の入りが随分と遅くなり、木々が芽吹いているのを見ますと、本当に自然の不思議を感じます。
さて、今回は節分についてです。その昔は季節の分かれ目に、年に四回やっていたのだとか。鬼さんも大変でしたね。
それが今日では春のみになりました。
最近では「心の鬼を払う」という意味も随
分と定着してきました。
仏教では「三毒」(さんどく)と言われる
「貪瞋痴」(とんじんち)を追い払うとされてい
ます。貪瞋痴とは「煩悩」です。
あれも欲しいこれも欲しいという欲の心
思い通りならないと湧いてくる怒りの心
愚痴ばかりで不平不満が一杯の心
これが豆まきで追い払えたらどんなに楽か・・
そうはいきませんが、改めて心に刻み、木々や
草花を通ってきた風のように、爽やかな心で
春を迎えたいものです。
それから先日、法話日がございました。
今年からは毎月27日に法話日を設けておりま
す。お念珠をお持ちでなくても大丈夫です。
どなたでもご聴聞いただけますので、どうぞ
いらしてください。
2017.02.21
築地本願寺では、月ごとに「華葩(けは)」というものが、参拝者の方に用意されています。花びらの形をした紙で、毎月様々な模様が描かれています。裏には短く法が説かれています。
普段分かっているつもりでも、あらためて読んでみると、「出来ていないなぁ」と思うこと、しばしばです。
毎年1月には「今年の一文字」が書かれています。今年は「諦」でした。
書いてある通り、「明らかにする」ということで
す。
病も原因がわからなければ治療も出来ませ
ん。
それと同じように、どんなことも明らかにしな
ければ、そこから進むことはできないのです。
苦の中には、目をそらしたいもの、考えたくも
ないようなこともあるでしょう。しかし、どんな
に遠ざけようとも、遠ざければ遠ざけるほど、苦
は大きくなるばかりです。
逃げず、隠さず、全てを明らかにし、時には誰
かに知恵を借りたりしながら真実を見極めていく
のです。
本当の幸せとは、その上にあるのです。
27日は法話日です。どうぞおいで下さいま
せ。
2017.03.16
みなさんご存じ「いろはうた」でございます。誰がお作りになったのか、未だ解明されていないようですが、さても見事な文章ですね。
意味を解説しますとこうです。
匂い立つような花もいずれは散ってしまう。
この世の全ては不変ではいられまい
無常の現世、煩悩の山を今超えて
浅はかな夢を見たり、酔いに浸ったりもせず
(しっかりと地に足つけて歩みなさい)
自分も他者も環境も、全ては変わっていく。
辛いことも、悲しいことも、また楽しいことも
いずれは過ぎ去り、変化していく。
そのことに惑わされず、己のいく道をしっかり
と見定め、生きていく。
「生きる」とは、そのことに尽きるのではない
でしょうか。
2017.04.17
すっかり遅くなってしまいました。
今回は、浄土真宗にまだご縁のない方にはちょっと難しい文章になってしまったかもしれませんね。
「仏の智慧」とは、絶対の真理です。これを実践するのはとても難しく、そう簡単にいくものではありません。
しかしながら、そんな私たちを、常にあたたかく見守ってくださっているのも仏様
なのです。
どうすれば仏様に近づくことが出来るのか、
そんな心掛けで生きているものにはひとしお
仏様のお力が働きます。
浄土真宗では、この世から離れた後は、西方
浄土に「生まれる」と言われています。
そこは悩みも苦しみも争いもない、心も体も
平和そのものです。
ですから、先の事は心配せずに、まずは今を
大切に生きることだと私は思います。
2017.05.10
皆様、楽しく生きていらっしゃいますか?
今回は仏法の中でも、基本の基でございます。
「なぜ苦がうまれるのか」
それは自分の思い通りにならないことばかりだからです。
人間関係は特に、頑張れば乗り越えられるようなものではありません。
ではどうしたらいいのか。それは自分の見方・考え方を変えるよりほかないのです。
そういう意味での努力は必要です。
自分と同じ考えの人ばかりだったら上手くいくのかと言ったら、そうでもないと思いませんか?
私は私のような人ばかりだったら、社会は成り立たないと思います。子孫も繁栄しませんね。
自分と違う人がいるから、自分のことが見える。良いところも悪いところも見えるのです。
そして、相手の良いところも悪いところも認めることで、自分が成長させてもらえるのです。
仏様は色々な人との出会いを作ってくださいます。
それは自分にとって、必要な出会いであり、成長するチャンスであることを
いつも心にとめておきたいものです。
2017.05.29
紫陽花が五分咲きくらいでしょうか。
今回は縁あって、何とも素敵な紫陽花の絵をお借りしました。
日々同じ事の繰り返し、同じ家族や他人とのふれあいのようですが、
諸行無常。決して同じではないことを忘れてはいけません。
今日も会ってあたりまえ。明日も会って当たり前だと思っていても、自分も人も物も成長したり老化したり、心変わりしたりしているのです。
日々はおろか、この一瞬一瞬が二度と来ることはありません。
そう思えば、今、何を大切にしていくのか。今、どんな言葉を発するのか。
色々と変ってくるのではないでしょうか。
2017.07.06
どうでしょうか。皆さん思い当たる節があるのではないでしょうか。
先日芸能人の方がおっしゃっていました。
「私のファンの人は良いことしか言わない。けれど中傷されたら、そこを直せばいいわけでしょ?そうしたら自分の引き出しが広くなる。だから、そういうお言葉も大切にしているんです」
なかなか出来るものではありません。中傷されたら傷ついたり、腹を立てたりして自分で自分を言い訳しがちです。
しかしそこを「そうか」と飲み込めたら、その分心が広くなるのですね。
心がけたいものです。
それから今日はお磨きでした。
暑い中、みなさん汗かき汗かき、一生懸命きれいにしてくださいました。
お磨きに関しては、お釈迦さまの弟子のひとりであるシュリハンドクの有名なお話がありますね。
何一つまともにできないシュリハンドクは、お釈迦さまから毎日掃除をするように命じられます。毎日毎日、どんなに奇麗にしても「まだだ」と言われます。
そうして長い間掃除をしていたシュリハンドクでしたが、ある日、自分が掃除をしたところを汚されて腹を立てます。が、その瞬間「掃除をしていたのは自分の心で、汚されたことに腹を立てた自分の未熟さ(汚れ)」に気付くのです。
それを聞いたお釈迦さまは「そうか。悟りが得られたな。」と、嬉しそうなお顔をなさったそうです。
私たちは「そうか、なるほど」と、悟ったような気持ちになった次の瞬間には、愚痴を言ったり、腹を立てたり、欲の心がムクムクと出てくるのです。
それを毎日掃除をする。法に触れることが大切です。もちろん、普段のお掃除も大切です。
2017.08.20
『言霊(ことだま)』ともいわれますように、言葉には「魂」「思い」「念」が込められています。
日々何気なく発している言葉のなかに、大きな力があることを肝に銘じたいものです。
英語で何かを断るときに「ノーサンキュー」とよく聞きます。
私はあれを聞くと「ああ、いいな」と思います。
「いらない」と、ただ無碍に断るより
「いらない、でもありがとう」と言う方がずっと丁寧で、相手を思いやり、尊重しているように感じます。
それから『すみません』。これは乱用しないように心がけています。
もともとは謝る意味で使われていたのでしょうが、今では「ありがとう」の意味でも使われています。
「すみません」を「ごめんなさい」と「ありがとう」に分けたら、「すみません」は随分と減るような気がしませんか?
遠くの何かを大切にするよりも、目の前の事(人)を大切に。
そこから「全て」が変わるのです。
2017.09.04
この世の真理の一つは諸行無常です。
生きていて、苦を経験しない人はいないでしょう。
「苦」とは、横に置いておいても、忘れようとしても、また来るのです。
ましてや自分の心の中で渦を巻いて大きくしては大変です。
「苦」は、自分の心の未熟さを映し出すものであり、
成長できるチャンスでもあるのです。
褒められれば有頂天になり、けなされればドン底に落ちる。
機嫌のいい時は「いいよ」と言い
機嫌が悪ければ「だめだ」と言う
晴れていれば気分よく、雨が降ればどんよりで。
恥ずかしながら、私にも思い当たる節が多々あります。
いつ会っても変わらない人。周囲に惑わされない。ブレない心。
「苦」を素直に受け入れ、自分の器を広げる努力を積み重ねていきたいものです。
2017.10.04
今月は、浄土真宗で最も大切な行事とされる「報恩講」がございます。
自坊では27日にさせて頂きます。
今年は田中頼子先生をお招きして、ご法話を頂戴いたします。
多方面にてご活躍で、色々なお話が聞けるかと、私も大変楽しみにしております。
10時30分開座となっております。
夕方5時30分までの間、いつでも出入り自由でございます。
一人でも多くの方とご縁が結べますよう、
役員一同、心より皆様のご参詣お待ちしております。
2017.11.01
先月の27日、晴天の中、無事「報恩講」が執り行われました。
台風と台風の間。前日準備と当日と、本当によく晴れてくださいました。
役員の方々の願いと、親鸞様の願いと、阿弥陀さまの願いとが光となって見えた気が致します。
「写経に親しむ会」では、この日の為に皆さん一生懸命、写経や写仏を仕上げていらっしゃいました。
坊守である家内は、金泥という塗料で阿弥陀さまを先頭に、「正信念仏偈」を書きあげました。
この金泥というのは染料が伸びず、紙にのせるようにして書くそうで、
本人曰く「もう二度と書けない」そうです。
どなたの作品も素晴らしく、また、自分に似るという不思議があります。
さて、報恩講にはたくさんの方に参詣頂きました。
ご法話も素晴らしく、最後にホロリとさせられました。
御門徒の皆様もそのお言葉を心に刻んでお帰りになりました。
親鸞聖人を偲ぶと共に、阿弥陀さまの光のご縁に、一人でも多くの方が触れられることを願ってやみません。
写経・写仏はしばらく展示いたします。どうぞご覧くださいませ。
2017.11.06
あたたかい日が続いておりますが、朝晩は冷え込むようになりましたね。
桜も紅葉していて、春とは違った美しさをみせてくれています。
その日その日を、人はそれぞれ違った心で生きています。
病に苦しむ人・大切な人を亡くした人・思いがけず心躍らせる人
人間関係に悩む人・自分自身に悩む人
仏様はどんな心も否定しません。
「そうだね。そうだね。」
と、寄り添ってくださっているのです。
仏様は全てお見通し。ご照覧です。
私達はなかなか相手の気持ちを分かり切ることは出来ません。
ただ、相手の心に寄り添うことは出来ます。
「そうなの。そうだったの。」
と、あたたかい心で相手の気持ちを聞かせて頂きたいですね。
2017.11.30
「心の大掃除」どうしたら上手にできるのでしょうか?
仏様に教えて頂いているはずなのですが・・・
サッとはいかないものです。
ただ、より一層わが身を振り返り、気になることは片づける。
「あの人はどうしているかな?」と思ったら文を書く。
「今年はあの人にお世話になった」と思えば、
物を贈らずとも、感謝の気持ちを伝える。
『心のお歳暮』です。
もしくは謝らなければならないこともあったかもしれません。
勇気を出して伝えてみたらどうでしょうか。
相手の反応はどうであれ、それが出来たあなたを、
きっと阿弥陀さまは微笑んで見ていて下さるでしょう。
そうして掃除をしたら、もう心は軽くなり、魂も磨かれているのです。